「古事記」のお勉強(5)~八岐大蛇 ヤマタノオロチ

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スサノオは高天原を追放され地上世界へ降りて行った。さて、次の物語は、

上巻

八岐大蛇(やまたのおろち)

スサノオの神裔

大国主神(おおくにぬしのかみ)

この部分が、「まほろばチャンネル 古事記 4 ~八岐大蛇~ヤマタノオロチ」youtubeで観られます。

●スサノオは高天原から地上へ追放される。降りて来られた場所は、出雲国の肥河の川上にある鳥髪(現・島根県仁多郡奥出雲町)というところ。

●スサノオは川を上流へ上ると、老人(国つ神、大山祇神(オオヤマツミ)の子・足名椎(アシナヅチ))とその妻の手名椎(テナヅチ)と娘の奇稲田姫(クシナダヒメ)が居た。二人には、8人娘が居たが、高志国(こしのくに 古代北陸地方の国名)から八岐大蛇(ヤマタノオロチ)が毎年やってきては一人ずつ娘を食べてしまう。今年、たった独り残ったクシナダヒメが食べられてしまうと哀れで・・・と悲しんでいた。

スサノオは八岐大蛇(ヤマタノオロチ)を退治する事にする。

クシナダヒメを爪櫛に変える(姫を隠すために)。

足名椎(アシナヅチ)と妻の手名椎(テナヅチ)強い酒を造られる。8つの門の垣根を作らせる。その門のまえに強い酒を置く。

八岐大蛇(ヤマタノオロチ)が現れ、酒の匂いに惹かれて、飲み始める。スサノオは大蛇が酔って眠ったところを十拳剣で切り裂いた。

●大蛇の尻尾を切り裂くと見事な太刀が出てきて、そのアマテラスに献上する。
(後に大和朝廷に伝わった三種の神器の一つの草薙剣)

スサノオクシナダヒメ結婚し、須賀という土地に宮(須我神社・島根県雲南市大東町須賀)を造り暮らした。

~八雲立つ 出雲八重垣 妻籠みに 八重垣作る その八重垣を~

とスサノオと歌った。

この歌から和歌がはじまり、万葉集・古今和歌集などへと受け継がれていく。

アシナヅチは宮の長官となり、稲田宮主須賀之八耳神(いなだのみやぬしすがのやつみみのかみ)という名を与えられる。

スサノオクシナダヒメの間に生まれた神は八島士奴美神(やしまじぬみのかみ)。

ここから数代先に大国主神(オオクニヌシ)(またの名を、大穴牟遅神(おおあなむぢ-)、葦原色許男大神、八千矛神(やちほこ-)、宇都志国玉神(うつしくにたま-))が生まれる。

●スサノオは大山祇神(オオヤマツミ)の娘・神大市比売(かむおおいちひめ)とも結婚。この二人の間に生まれた子が、大年神(おおとしのかみ)宇迦之御魂神(うかのみたまのかみ)。

神大市比売(かむおおいちひめ)・・・市場の神

大年神(おおとしのかみ)・・・豊作と恵みをみたらす年神様

宇迦之御魂神(うかのみたまのかみ)・・・稲の守り神・お稲荷さん

ようやく、これからのお話の主人公、大国主神(オオクニヌシ)が出てきました。

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ここに登場する神様を祭神とする主な神社は、

「オオヤマツミ」を祀る神社

全国の大山祇神社(山積神社/大山積神社/大山津見神社含む)の他、三島神社(三嶋神社)や山神社(山神神社)の多くでも主祭神として祀られている。

大山祇神社 全国に897社ほど。総本社は大山祇神社愛媛県今治市大三島である。

三島神社 全国に402社ほど。三嶋大明神としての大山祇神を祀る。総本社は大山祇神社愛媛県今治市大三島)及び三嶋大社静岡県三島市である。

山神社 全国に3075社ほど。大山祇神社(愛媛県今治市大三島)の分社や、その地方の山神を大山祇神として崇めた神社が含まれる。

十二神社 全国に438社ほど(別の神を祀る神社を含む。

その他 大山阿夫利神社神奈川県伊勢原市)や梅宮大社京都市右京区)、湯殿山神社山形県鶴岡市などでも主祭神ととされる。そのほか酒造や各地の山岳信仰と結びついたり、大山祇神社三嶋大社の分社の中で三島神社や大山祇神社、山神社以外の名称を名乗る神社が存在し(一宮神社稲爪神社瀬戸神社等)、大山祇神を祀る神社は相当数にのぼる。浅間神社等でも主祭神として扱われていることがある。

配神や境内外社としてよく祀られる神の1柱でもあり、伊勢神宮内宮三重県伊勢市)にも大山祇神社が勧進されている。上述の『大三島宮』によると、大山祇神を祀る神社は、小規模社や境内社・配神等を含めると全国に1万318社存在する。この数は日本神話の神の中で5番目に多いという。
オオヤマツミ 出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』最終更新 2019年12月5日 (木) 22:28 

「アシナヅチ・テナヅチ」関連の神社

スサノオの宮殿があったとされる地には須佐神社島根県出雲市がある。代々須佐神社の神職を務める稲田氏(後に須佐氏)は大国主の子孫であり、アシナヅチ・テナヅチから数えて2010年現在で78代目であるとしている。

それぞれが主祭神となっている神社として手長神社足長神社(それぞれ長野県諏訪市)がある。両社とも、かつては諏訪大社上社の境外末社とされていた。また須佐神社の他、廣峯神社兵庫県姫路市)、川越氷川神社埼玉県川越市)などでも祀られている。

アラハバキとの関係
神社関係者が物部の末裔との伝承を持つ氷川神社(埼玉県旧大宮市)の門客人神社は元々荒脛巾(あらはばき)神社と呼ばれ、謎の神アラハバキを祭る神社であるが、ここには何故かアシナヅチ、テナヅチの2神がアラハバキと共に奉られている。物部の本来の祭神とも言われ、祟り神として神話に現れる三輪山のオオモノヌシが蛇神とされ、また物部の聖地であった大阪四天王寺の地にアラハバキ信仰の痕跡が残ることから、オオモノヌシ=アラハバキ説があるが、この氷川神社の謎からヤマタノオロチとアラハバキ、そして物部の関連が指摘されることがある。
アシナヅチ・テナヅチ 出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』最終更新 2021年6月7日 (月) 09:54 

「クシナダヒメ」を祀る神社

稲田の神として信仰されており、廣峯神社兵庫県姫路市)、氷川神社さいたま市大宮区)、須佐神社島根県出雲市)、八重垣神社(島根県松江市)、須我神社(島根県雲南市)、八坂神社京都市東山区)、櫛田神社富山県射水市)、櫛田宮佐賀県神埼市)六所神社のほか、各地(旧武蔵の国に偏在)の氷川神社で祀られている。

多くの神社では、夫のスサノオや子孫(又は子)の大国主などと共に祀られている。

クシナダヒメを単独で祀っている神社としては、茨城県笠間市にある稲田神社島根県仁多郡奥出雲町の稲原にある稲田神社があり、特に奥出雲町の稲田神社の近くには稲田姫の産湯として伝えられている「産湯の池」と、臍(へそ)の緒を竹で切ったと伝えられる「笹の宮」がある。

福岡県福岡市にも櫛田神社があるが、ここの祭神は大幡主大神・天照大神・素戔嗚大神である。ただし、元々はクシナダヒメを祀っていたとする説もある。
クシナダヒメ 出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』最終更新 2020年11月12日 (木) 14:22

「ヤマタノオロチ」関連の神社

長野県佐久市常和の山田神社[14]は、ヤマタノオロチとゆかりがあるという蛇石(へびいし)を祭っている[15]八岐大蛇が素戔嗚尊に退治された時、そのの形で留まったものとされ[16]、蛇石の上にを置いたところ自然と消失したり、が年々大きさを増し、を作って覆ったがその祠を壊して出てきたため、土地の産神として祭ったところ大きくなることはなくなったという伝説がある[17]

須佐神社には、ヤマタノオロチの骨とされる物が納められている。
ヤマタノオロチ 出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』最終更新 2020年12月19日 (土) 10:25 

「年神」を祀る神社

葛木御歳神社 (奈良県御所市、全国にある御歳神社・大歳神社の総本社)向日神社 (京都府向日市)、大歳神社 (京都府京都市西京区)、大歳御祖神社静岡県静岡市葵区)、飛騨一宮水無神社岐阜県高山市)、朝熊神社 (三重県伊勢市)等全国に多数。 また、特に西日本では田の畔の祠などに大歳神社・大歳様として多く祀られている。大和神社(おおやまとじんじゃ)右殿でも、中殿に日本大国魂大神、左殿に八千戈大神、右殿に御年大神を祀る。
年神 出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』最終更新 2021年4月21日 (水) 22:01 

「ウカノミタマ」を祀る神社

ウカノミタマは、現在は穀物の神としてだけでなく、農業の神、商工業の神としても信仰されている。伏見稲荷大社京都市)、笠間稲荷神社茨城県)、祐徳稲荷神社佐賀県などの全国の稲荷神社で祀られているほか、ビルやデパートの屋上、工場の敷地内などにも、屋敷神として稲荷神を祀る社が設けられている(例えば、日本橋三越デパート屋上の三囲神社などがある)。稲荷神社以外でウカノミタマを祀る神社としては、以下のような例がある。

小津神社滋賀県守山市平安時代に制作された、ウカノミタマの神像重要文化財)を祀る。垂髪(たれがみ)の女神の座像で、片膝を立て、手に宝珠を持つ。木製で像高50cm。ウカノミタマを主祭神とするが、稲荷神社ではない。

小俣神社三重県伊勢市伊勢外宮の境外摂社。神道五部書の『御鎮座本紀』では、トヨウケ大神に随行してきた「ウカノミタマ稲女神」を祀ると記される。地元では、稲女(いなめ)さん・稲嘗(いなべ)さん、とも呼ばれる。

上社(三重県伊勢市)合祀により、4座の宇迦之御魂神を祀る[14]

葭原神社(三重県伊勢市)皇大神宮の別宮月読宮の境内末社

愛宕神社(福岡県福岡市西区)

※稲荷神として祀られる場合は、稲荷神稲荷神社を参照。
ウカノミタマ 出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』最終更新 2021年7月6日 (火) 22:24 


稲荷神(いなりのかみ、いなりしん)は、象徴する霊神・農耕[1]稲荷大明神(いなりだいみょうじん)、お稲荷様お稲荷さんともいう。五穀をつかさどる御食津神ウカノミタマと稲荷神が同一視されることから、総本宮の伏見稲荷大社を含め、多くの稲荷神社ではウカノミタマを主祭神としている[2]
稲荷神 出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』最終更新 2021年6月13日 (日) 10:51 

稲荷神社(いなりじんじゃ)・稲荷社(いなりしゃ)は稲荷神を祀る神社。京都市伏見区深草にある伏見稲荷大社神道上の稲荷神社の総本宮となっている[1]神仏分離の際、稲荷神社は多数の神道系と少数の仏教系とに分かれた[2]
神社のうちで稲荷神社は、2970社(主祭神として)[3]、32000社(境内社・合祀など全ての分祀社)[4]を数え、屋敷神として個人や企業などに祀られているものや、山野や路地の小祠まで入れると稲荷神を祀る社はさらに膨大な数にのぼる。
神道系の稲荷神社の入り口には通常、朱色鳥居が建てられている。朱塗りは社殿や鳥居で広く使われ、稲荷を象徴するものになっている[5]。総本宮である伏見稲荷大社では、参道は「千本鳥居」によって導かれる[6]
ほとんどの稲荷神社では社頭などに守護獣として形の像が置かれ、奉納された赤い前掛けをつけていることも多い[5]狐は稲荷の神使であるが、俗に神そのものとも考えられている[7]。狐の像は普通、雌雄一対となっている[5]。多くの場合、口や前足に象徴的な品を持ち、その品は宝玉や鍵、巻物が一般的であるが、稲束や子狐なども好まれている。彫像は写実的なものでなく様式化されており、狐が座し、尻尾が立ち上がっている様が表現されている。これらの共通した特徴にもかかわらず、各像は非常に個性的であり、完全に同じであるものは二つとして無い[5][8]。今日では、入り口で狐の像を見つけたら、それは稲荷神社の存在を表している[6]
稲荷神社 出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』最終更新 2021年8月8日 (日) 05:53

つづく~

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