北澤八幡神社&八幡山 森巌寺(東京都世田谷区)

2019.12.21 下北沢での金子マリちゃんと瀬川洋さんのライブ♪を見に行く前に、下北沢に近い北澤八幡神社を参拝しました。下北沢はスゴイ勢いで変わりつつありますねー。久々に行ったので浦島太郎状態でした。

古着、演劇、音楽、アート…などサブカルチャーの街・下北沢。通称:シモキタ。世界各国で発行されている情報誌「タイムアウト」が発表した“世界で最もクールな50の街”のひとつに選ばれたそうですよ。

線路跡地が開発されたのが「下北線路街」です。2019.9、そのなかに約1年半の期間限定で「下北線路街 空き地」という“自由な遊び場”エリアが誕生。

この日、クリスマス前、年末近しで老若男女、ごった返していました。路上ライブ、教会のゴスペル聖歌、お笑いイベント・・・ごった煮状態でしたよ。

下北沢郊外にあった「カフェ」付きの「コインランドリー」オシャレですねー^^

さて、神社へ。

北澤八幡神社

階段上部に拝殿。この辺り、丘陵のヘリになります。とうわけで、もしかしたら富士塚か浅間神社も境内社であるかな?と・・・思い・・・。

境内全景。神社の撮影には広角が威力を発揮しますねー^^

拝殿

拝殿

拝殿上部の扁額

拝殿左手には「うぶがみ様」。「愛宕」「稲荷」など境内社も。

拝殿右手にも稲荷社

本殿の屋根

うぶ神様辺りから。。。絵馬掛け、手水舎

拝殿前の富士塚。お~~~~~!ビンゴ!浅間神社は無かったですが「富士塚」がありました。

左から、社務所、奥に神楽殿富士塚

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北澤八幡神社(きたざわはちまんじんじゃ)は、東京都世田谷区代沢にある神社(八幡宮)である。通称は北澤八幡宮(きたざわはちまんぐう)。北沢八幡など、新字体の北沢で表記されることも多い。世田谷区北辺の守護神。

起源については、必ずしも明確ではないが、15世紀後半頃、当時、世田谷城主であった吉良家(吉良頼康 きらよしやす[1])が勧請したと伝えられ、直後に、家臣が荏原郡下北沢村(現:下北沢)に土着して同村を開墾し始めたと言われる[2]。同村の中心的存在で、開墾-宅地化を含め、下北沢地区の歴史とともに歩んだ、と言え、「世田谷七沢(しちざわ)八八幡(はちはちまん)随一[3]」とも言われた立派さを現在に伝える。境内には、本殿の他に、神楽殿、高良玉垂社、円海稲荷社、産土社、弁天社、野屋敷稲荷社、愛宕稲荷社がある。現在の社殿は嘉永5年(1852年)に再建されたと言われる[2]。 台地の縁にあたる斜面に立地して幾つかの段差があり、現在も樹齢を重ねた樹木が比較的残り、閑静な住宅地に接している。境内付近は、地域の子供の遊び場、散歩道ともなっている。
北澤八幡神社 出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』最終更新 2018年11月5日 (月) 21:42
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参拝後、ライブハウス方面に向かおうとしたら・・・すぐ近くに惹かれるお寺がありました。

八幡山 浄光院 森巌寺 浄土宗のお寺でした

境内の1対のイチョウの大木。存在感がスゴイです。このイチョウは開山当時からのものだそうで樹齢は400~600年以上と推定。
『世田谷名木百選』ではこのうちの1本について「世田谷で一番幹廻りの太い木である」
森巌寺の辺りは、世田谷区民投票により「淡島の灸の森巌寺」として1984年に「せたがや百景」に選定 。

本堂

本堂の奥に淡島堂(1836年(天保7年)森巌寺最古の建物)があったようです。帰ってから調べて気が付きました。あ~、わたし、失敗しちゃった~(笑
灸&針供養で名高いそうです。
淡島堂は仏堂のように見えるが、拝殿・幣殿・本殿で形成する神社の形式で、正式名は「北沢淡島明神社」というそうです。あ~、参りたかったなあ。。。

お堂の「閻魔さま」閻魔大王

お隣の「お不動さま」不動明王

毎週日曜に護摩祈祷を行っているそうです。

「弁財天さま
8本の手を持つ「一面八臂」の姿で、頭上には「体は蛇、頭は老人の「宇賀神」像」を乗せています。この弁財天の姿は、農業神・穀物神として民間で信仰されていた「宇賀神と弁財天」が習合した形態と推定されている。

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森巌寺(しんがんじ)は、東京都世田谷区代沢にある寺院。浄土宗に属し、1608年(慶長13年)に結城秀康の位牌所として建立された[1][2]。江戸時代には灸と針供養、そして富士講で名高い寺として知られ、多くの参詣者で賑わったと伝わる[1][2][6]。毎年2月8日に行われる「森巌寺の針供養」は、世田谷区指定無形民俗文化財(風俗慣習)に指定されている[4]。2006年(平成18年)には、境内にあった富士塚の発掘調査が実施された[7]。この寺院の界隈は、「淡島の灸の森巌寺」として1984年(昭和59年)に「せたがや百景」に選定されている[8][9][10]。

森巌寺 (世田谷区)出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』最終更新 2019年11月25日 (月) 13:16 

ショートショートトリップでしたが、盛沢山、濃密な時間でした。神仏習合を残している地域でしたね。想定通り富士講もございました。だんだん神社の立地とか地形で解るようになってきましたねー^^

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