藤野神社 & 與瀬神社(神奈川県相模原市)~陰陽和合が万物発動の元

2021.4.20 神馬山に登ってきましたが、行きと帰りに神社へも詣でました。

まずは藤野駅近くの藤野神社。以前、近くを車で通って参ろうと思ったのですが場所がよく解らなくて参れなかったのでした。

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階段参道ですね。かなり長いです。

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神社の周りにはパノラマコースなど散策路があるようです。

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拝殿 小高い丘の頂上に鎮座していました。

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ググってもあまり情報の無い神社です。

こちら様のhpによると、

藤野神社は、古くより小淵に鎮座していた八坂神社・金比羅神社・秋葉神社を享和3年(1803)に合祀して当地に創建、明治5年には小一領神社・熊野神社・山梨神社を合祀して藤野神社と改称、翌年村社に列格しました。

との事です。下って棡原藤野線に出る手前ではイカリソウに会えましたよ。

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神馬山から相模湖駅に出る途中では、與瀬(よせ)神社に参拝しました。登山道は境内脇に降りてきましたが、時系列を逆転させて神社正面から羅列します。

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甲州街道側からの鳥居

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中央高速道を超える幅の広い階段があります。鳥居とお寺が並んでいますね。この神社、何度も中央道を走っていて気になっていた神社なんです。

昭和43年中央高速道路用地として境内一部を提供されたようですね。

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神社東側のお寺

高野山真言宗 金峰山 慈眼寺 御本尊 薬師如来

明治五年の神仏分離以前は、与瀬蔵王大権現の別当寺であった。神仏習合の香りが満載です。

蔵王権現は、日本独自の山嶽仏教である修験道の本尊。正式名称は金剛蔵王権現、または金剛蔵王菩薩。インドに起源を持たない日本独自の仏で、奈良県吉野町の金峯山寺本堂(蔵王堂)の本尊として知られる。

蔵王権現って、奈良の吉野が本尊だったのですね。蔵王という名が付いているので、てっきり東北の蔵王山の修験道ルーツかと思っていました。

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境内入り口

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隋神門(神門) 残念ながら右大臣・左大臣は提灯に置き換わっていました。下記を読むと10年前にはいらっしゃったようです。

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なかなか急な参道階段。両脇にはシャガがたくさん咲いていました。

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階段を登り切った境内の東側にある、おおきな「参拝者御控所」。

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二階に上ってみました。天井がすごいです。

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奥に祠 氏神様かな。

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左の登山道を下りてきました。神楽殿・神輿社。境内社としては平安神社、熊野神社、客神社、天神社もございました。

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拝殿

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古い昔より「よせのごんげんさま」とよばれてまいりました此の神社は、新編相模国風土記等によりますと、古より相模川の北岸に在ったお社を現在の所にお祀りしたもので與瀬大権現と称し、御神像の台坐に享禄(1528 ~1532年、室町時代) の年号ありと記されております。又その縁起譚としての伝承に昔此の里にヤヨ・キヨといふ二人の者あり。相模川御供岩にて網を打つ此の網に神躰かかりて上がる、二人のもの畏こんで此れを祠に祀る。たまたま村里に悪疫流行す。川より上がりし神を村里の下方に祀るタタリなる可しとて村の清浄なる現在の地に鎮め奉ったとの物語があります。
 とにかく時の権力者等の力に依って祀られた神社ではなく、純然たる民間信仰の力によって祀られ、伝えられて来た神社であると考えられます。
 

神奈川県神社庁/神社検索/與瀬神社與瀬神社のご案内です。www.kanagawa-jinja.or.jp

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本殿

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本殿裏手のこの祠が気になりましたね~。

「幸の神」

陰陽和合が万物発動の元なりとの古来からの信仰により
縁むすび、安産を始め、商売繁盛、増産を祈る
その霊験あらかたなり

立派な神社でした。とても良い空気・空間でした。ググってみると、10年程前の投稿時よりもすこし草臥れた感があるのがとても残念です。

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