富士稲荷神社(東京都練馬区)&堀ノ内熊野神社(東京都杉並区)

ご近所の神社を自転車で参拝。

どちらも以前に訪れていますが、キチンと境内散策していなかったので詣でました。

まず、富士稲荷神社(東京都練馬区豊玉南)。

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境内に大きなクスノキがあります。

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なかなかの巨樹ですよ。
「3代将軍徳川家光のお手植え」との言い伝えあり。樹の高さ17m、幹の周囲3.7m。

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「富士」と名前が付いていて、ちょっと小高くなっているので「富士塚」かと思いましたが、ちょっと解りませんでした。ただ、南に開けているので昔は富士山が拝めたと思いますね。

拝殿前には二宮金次郎像が置かれていました。フォトジェニック^^

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続いて、杉並区堀ノ内の堀ノ内熊野神社

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神社の向かいには、向山遺跡の看板が。

この遺跡は、杉並区堀ノ内二丁目5番にある、低地に広がる古墳時代後期(約1,400年前)を主体とする集落跡。善福寺川の蛇行によって形成された沖積低地上に営まれており、東側に隣接する縄文時代中期(約3,500年前)を主体とする熊野神社西遺跡とは内容を異にするようです。古墳時代後期の住居址3基、縄文時代中期の土器片、江戸時代後期のゴミ捨場1箇所、明治から大正にかけて使用されていた灌漑用水路が検出され、この遺跡が複合遺跡であることも解りました。とのことです。

直ぐ近くに善福寺川が流れています。

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左は第六天神社

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境内は広々としています。

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堀ノ内熊野神社
当社は旧堀之内村の鎮守で、大屋津姫命、五十猛神、抓津姫命の三柱が祀られています。社伝によれば当社は文永四年(一二六七)に、紀州(現和歌山県)の熊野三山を勧請したのにはじまり、室町時代に北条氏綱が上杉朝興を破り、江戸を攻略した際社殿を修築し祝祭を行い、江戸時代の寛永十一年(一六三四)にさらに修繕を加えたと伝えられています。別当は村内の妙法寺が明治維新までつとめていました。
桧造りの幣殿は大正十二年の造営で、この時旧幣殿を現在の神楽殿に改修しました。昭和二十九年稲荷社・第六天王社の合殿社を改新築、同三十五年社務所の新築、社殿の整備を行い、同四十六年奥殿土台石の修復、神楽庫の新築等、今日の景観を整えました。当社は文化財にも恵まれ、また大正十二年九月一日の関東大震災の当日、浅草で買い求め猛火の中を無事帰着して納められた「火伏の神輿」が、祭礼の際には町内を渡御します。なお、当社には古くから奉納された絵馬・額等も多く所蔵されています。(杉並区教育委員会)

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なかなか渋い神楽殿です。使われたりするのかなあ。

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拝殿

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拝殿前より。

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神輿殿

静かな静かな空気・空間でした。時が止まっているかのようでした。今年はコロナウィルス感染拡大の影響で、夏祭りも秋祭りも中止のところが多いですね。。。

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