大分県由布市・宇奈岐日女神社

 

2017.9.10

由布岳 昨日も大分自動車道から見えていましたが、いや~スゴイ存在感ですね。

・由布岳は、大分県由布市にある標高1,583mの活火山。山体が阿蘇くじゅう国立公園に指定されている。
・古来より信仰の対象として崇められ、『古事記』や『豊後国風土記』にもその名が記されている。
・「柚冨郷」の近くにあることが「柚冨峯」という山名の由来とされている。
・宇奈岐日女神社(式内社)の祭神であり、また、山岳仏教信仰の山としてかつては中腹に佛山寺(湯布院町)の伽藍が
あった。
・約9万年前に鶴見岳とほぼ同時期に火山活動を開始した火山で、約2,200年前には山体崩壊を発端とした大規模な噴火
が発生した。最新の噴火は約2,000-1,900年前となっており、有史に残る噴火記録はないが、山麓には由布院温泉を
始め温泉群が点在し、活火山であることを思わせる。by wikipedia

その後、宇奈岐日女神社へ。

とても雰囲気のある参道です。

まるで異次元空間へと誘うようです。

 

神門

神門をくぐると右側に御神木の切り株が並んでいました。平成3年の台風により、なんと144本の杉が被害にあった
ようです。今でも大杉が立っていたら・・・残念ですね。

拝殿

本殿

拝殿前 境内社の政正社と厳島神

宇奈岐日女神社(うなぐひめじんじゃ/うなきひめ-/うなぎひめ-)
大分県由布市にある神社。式内社で、旧社格は県社。
「六所宮」とも呼ばれるほか、「木綿神社(ゆふじんじゃ)」「木綿山神社(ゆふさん-)」の通称もある。

ウナグヒメについて
由布院盆地は古くは湖であったが、ウナグヒメが開拓したと伝える。 現在の祭神は、6柱の神々である。
一方『延喜式』神名帳に記される社名は「宇奈岐日女神社」であり、かつ六国史における神階奉叙は「宇奈岐比咩神
(宇奈支比咩神)」に対して行なわれていることから、当初の祭神はウナグヒメであったと考えられている。
「ウナグヒメ」の名について、「うなぐ」とは勾玉などの首飾りを意味するとし、こういった呪具を身につけた女首長
の巫女が神に転じたと推測されている。一方、「ウナギ(鰻)」に由来するとする説もある。
このウナグヒメに関して、古くは由布院盆地が湖であったという伝説(蹴裂伝説)がある。この中で、由布岳の神である
ウナグヒメは目の前に広がる湖を見て、力持ちの大男に命じて岸辺を蹴破らせた。男が蹴破った結果水が抜けた湖は盆地
となり、その跡を現在の大分川が流れるようになったという。また、湖の乾き残りが金鱗湖となったという伝えもある。
創建
社伝によれば、創祀は景行天皇12年10月であるという。『神社明細帳』では、景行天皇が征西のおりに当地で祭を営んだ
といい、同天皇3年に速津姫が勅を奉じて創祀したという伝承を伝える。当社は由布岳の南西山麓に鎮座している。
『太宰管内志』では「木綿山にます神なので木綿ノ神社ともいう」という記述があるほか、『豊後国志』でも宇奈岐日女神は
由布山神であると記されており、元々は由布岳を神体山として成立した神社であると見られている。
一方、由布院盆地が古くは湖であったという伝承に基づき、ウナギ(鰻)を精霊として祀ったことに始まって、のちに
由布岳の神と習合したという推測もある。
概史
国史の初見は嘉祥2年(849年)に従五位下の神階に叙せられたという記述であり、元慶7年(883年)には正五位下に
昇叙された。これらの奉叙は、「宇奈岐比咩神(宇奈支比咩神)」に対して行なわれている。 平安時代中期の『延喜式』
神名帳には豊後国速見郡に「宇奈岐日女神社」と記載され、式内社に列している。江戸時代までは佛山寺と習合していたが、
神仏分離により現在の姿となった。

境内は1万坪を超え、杉の古木に囲まれていたが、平成3年(1991年)の台風で数多く倒壊等の被害を受けた。 本殿は
朱塗の流造。また、大鳥居が由布院の中心部に立つ。by wikipedia

個人的な感覚では、由布岳の神様というよりも湯布院の町の氏神様・守り姫という感じがしました。素敵な神社でした。

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