阿豆佐味天神社・立川水天宮 (東京都立川市)~猫返し神社

阿豆佐味天神社・・「あづさみてんじんじゃ」と読みます。

この神社の総本宮は東京都西多摩郡瑞穂町にありまして延喜式内社です。かつて参ったことがあります。

う~む・・・wordpressのリンクは真っ白になっちゃうなあ。それはともかく・・

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東側の鳥居

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旧五日市街道側の正面

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拝殿

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拝殿入口の扉が良い感じですね。

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も睨みを利かせています。私的に良いと思われる角度から撮影。

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本殿 

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巨大な殉国慰霊碑
あまりの大きさに石を運ぶトレーラーやクレーンを米軍横田基地から借りたとか・・

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境内 ん? 狛犬?

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「猫返し神社」と書かれた絵馬ならぬ絵猫^^

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可愛いネコちゃんが^^

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境内社の蚕影神社

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蚕影神社八雲神社疱瘡社稲荷社天神社御嶽神社浅間神社金刀比羅社八坂大神社が合祀

このうち蚕影神社「猫返し神社」とされています。

蚕の天敵がねずみ、猫を守り神にしています。「絵馬」に願いを書いたら、無事に帰ってきたという報告も寄せられています。(命名者:ジャズピアニストの山下洋輔さん)

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立川水天宮は、古来より安産・子授けの守り神として崇められています。

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立川水天宮の手水舎の鉢は、唐子が担いでいます。

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こちらは「犬」ですよ^^

水天宮の「豊之泉」という手水鉢は、丸い手水鉢の横に犬張子が置かれています。犬張子は初宮参りの時に使われ、病気をせずスクスクと成長するようにという願いが込められています。

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蚕影神社は、養蚕の守り神として、常陸国豊浦湊(茨城県つくば市)から、安政七年(一八六〇)二月に勧請された、阿豆佐味天神社の末社です。
この砂川地区では、江戸時代の中頃から養蚕が行われていました。幕末の安永五年外国と貿易を始めるようになると、養蚕は著しく発展し、村の主産業になりました。そして明治から昭和にかけて、砂川の養蚕は最盛期を迎え、人々の生活を支えました。
この蚕影神社によって、幕末に、砂川で養蚕が盛んに行われていたことがわかります。(立川市教育委員会掲示より)

↑蚕影神社の総本社は以前投稿しています。

とても良い空気空間の神社でした。その後、立川熊野神社へ。

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享保11年(1726年)「鎮守の神」として、旧立川基地内に建てられました。その後昭和43年に現在の地に移転。境内の水の流れが心地よい音を奏でていました。

上記の諏訪神社と合わせて立川の主な神社を参り終えました。このエリアは、縄文時代からの歴史があり、玉川上水があり、かつて米軍基地がありました。現在は、立川周辺の再開発が進んでいます。宗教団体・真如苑の総本山真澄寺も立川にあります。

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