狭山神社(西多摩郡瑞穂町箱根ヶ崎)

2017.6 狭山神社(西多摩郡瑞穂町箱根ヶ崎)へ詣でました。

参道入り口

御祭神:
伊邪那岐尊・伊邪那美尊・泉津事解男命・箱根大神・木花咲耶姫命・大山衹命・巌永姫命
由緒:
創建年代不詳 箱根大神は永承年間(1046~53)源義家の奥州征伐の折、筥の池(狭山池)辺に陣営、箱根権現の霊夢に
感じ、当地に勧請、凱旋の時に奉賽したと謂われる。木花咲耶姫命他二柱は源頼朝の関東五百社勧請の一社と思われる。
主祭神の伊邪那岐、伊邪那美二神と泉津事解男命はそれ以前の奉斎と思われる。
幕末と明治の火災の後、昭和二十六年拝殿幣殿完成。

拝殿

 

本殿

「瑞穂町史」によると、「創立年代等不明であるが、往昔は箱根権現とも三社大権現(この三社は、三柱=木花咲耶姫命・
大山祇命・吾田津姫命と思われます)とも称していた。狭山丘陵の西端にある。箱根ヶ崎の鎮守として明治六年村社に
列せられた。」となっています。

箱根権現(箱根山の山岳信仰と修験道が融合した神仏習合の神)の勧請から、「箱根ヶ崎」の地名ができたのでしょうね。
この神社は、狭山丘陵の西端に当ります。

「金刀比羅宮神社」「高尾神社」

「権現山稲荷社」

機(はた)神社

「機」は「機織り」のことで、武蔵村山市の「村山大島紬」の神社として建てられたとのことです。

狭山丘陵南麓の村山地域は江戸時代より木綿紺絣(こんかすり)の産地として知られていました。明治時代から大正にかけて、
木綿絣は研究開発が進められ生産量を増やしましたが、大正8年ごろに板締染色の技術が群馬県伊勢崎から導入されると、
絹織物(村山大島紬)がたくさん作られるようになりました。大正10年に八王子織物同業組合に村山大島部会が結成され、
昭和4年には独立して村山織物同業組合となりました。武蔵村山市hpより。

広告

コメントを残す

以下に詳細を記入するか、アイコンをクリックしてログインしてください。

WordPress.com ロゴ

WordPress.com アカウントを使ってコメントしています。 ログアウト / 変更 )

Twitter 画像

Twitter アカウントを使ってコメントしています。 ログアウト / 変更 )

Facebook の写真

Facebook アカウントを使ってコメントしています。 ログアウト / 変更 )

Google+ フォト

Google+ アカウントを使ってコメントしています。 ログアウト / 変更 )

%s と連携中