横手駒ケ嶽神社(山梨県北杜市)

2017.5.27日向山(山梨県北杜市)周辺へ行ってきました。

山も鳥も植物も景色も存分に楽しめましたよ。いろいろ投稿していきます。

ということで、日向山を離れ、近くに神社に立ち寄りました。違う駒ヶ岳神社(甲斐駒ケ岳神社・竹宇地区)へ向かう
予定でしたが、こちらの横手駒ケ嶽神社へ来ちゃいました。でもある意味正解だったのかも^^ヨレヨレだったため、
ここだけ参拝しました。

山梨県側の甲斐駒ケ岳への登山口は、この横手からと竹宇地区にあり、それぞれの登山口に駒ケ嶽神社が鎮座して
います。地元では竹宇駒ケ嶽神社、横手駒ケ嶽神社と区別して呼んでいるようです。竹宇地区の神社公式サイトでは
甲斐駒ケ嶽神社となっています。

拝殿

カラス天狗の絵に惹かれました。

本殿

本殿裏の傾斜地にはたくさんの石碑や祠が・・・

境内は傾斜地にあり、社殿後方には多くの祠や石碑が立っている。切妻造本殿の後方には駒嶽大権現(大己貴命)、
麻利支尊天(手力男命)。他にも観世音菩薩、刀利天狗(猿田彦大神)、刀利大権現(少彦名大神)、七丈嶽子安大明神、
駒嶽馬頭観世音、天津火之大神(三宝荒神)、妙見大菩薩、成田不動明王、秋葉大権現、神変大菩薩、役の行者など。
社殿の左手に剣が逆さに建てられ、御神木の後方境内左手には甲斐駒ケ岳登山道を開いた信濃国の延命行者を祀った
開山堂。開山堂の周囲には多くの霊神の石碑が並んでいる。
http://www.genbu.net/data/kai/yokokaikoma_title.htm より。

神楽殿

御由緒
神の代に建御名方命この地に至りし時、雄大にして崇高な山の姿に うたれ、「この山はいと高く清々しき地なり、かれ
ここにあが御親 の神を祭るべし」と云うに始まる。

雄略天皇の御代二年六月に改めて 雲州宇迦山(出雲大社)より遷祀したと伝えられている。

祭神は国家鎮護、五穀守護の神大己貴命(大国主命)にして造化の 神天之御中主神、高皇産霊神、少彦名命、素盞鳴命、
保食之神等 の諸神を合祀している。

駒ケ嶽は甲信に誇る高山であり、懸崖数千 丈の絶壁にして、上古より神仙の集る霊山として知られ白鳳二年役の 行者小角が
当山にて仙術を修め、富士山とともに当山の開闢とも伝え れている。

往古新羅三郎義光はこの神に祈願して子を授かり、 その子孫が武運に勝れ繁栄するよう、山頂の巨石に延久主義光の 五字が
かすかに残っていたと社伝に伝えられている。

釜無川等四川が 駒ケ嶽に源を発し、その下流一帯には牧場があり馬の産地であった。 当山の源流には神馬の精が宿っていると
いわれ、この水により育った馬の中から多くの名馬がうまれたと云われる。

厩戸皇子の御愛馬は この渓流によって神馬と云われ、郡名も本山より巨摩郡と称すと 云う。

また広大な山中には珠玉、薬草を産し沢山の人がその恩恵 に浴している。牧場からの貢馬は神前にて安全を祈願し、山中から
採集された薬を共に朝廷に献上され、大同年間畏こくも天皇の病を癒し奉ったと伝えれられている。

文化十三年六月、信濃国の延命行者(小尾 権三郎)は入山禁止の駒ケ嶽に特に許されて入山し、幾多の苦難を克服し嶮岨な
この山に始めて登山の途を開かれた。

世に駒ケ嶽開山として 尊敬せられ神徳顕著により崇敬者の登山する者が多い。

以来駒ケ嶽教(神仏習合)として発展し広く県の内外に多くの講社が結成され 境内及び御嶽には神々の石碑が奉納され
文政六年元三大師を勧請 の砌り東叡山の宮様より慈恵大師尊形を御下賜になり、同年 神祇管領卜部朝臣長卿より巨摩嶽神社の
軸物を賜わった。

また神祇管領家より駒ケ嶽神社の額字を賜わり、刻して前宮の鳥居に掲げ ている。昭和五十五年、代太神楽が白州町無形文化財
に指定された。
-境内由緒書きより-

夕方に参ったので、境内は静まり返っていましたが、深い歴史と信仰の蓄積を感じました。

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