白子熊野神社(埼玉県和光市)

2017.1

和光市にある白子熊野神社へ行きました。

参道脇から入ったのですが、月極駐車場のようで・・・何処にクルマを止めていいのか迷いました。

結局、駐車場は良く分からず・・・。

白子の鎮守様ですね。その後、熊野信仰が伝えられ熊野神社となったようです。

拝殿

山下にあるので、鬱蒼とした森に囲まれているかのようです。

初詣はたくさんの人が訪れたようですね。

参道入って右側にこんもりした小山が・・・。もしかして浅間神社??鳥居には何も書かれていません。

お山の頂上には富士浅間大明神の祠が・・・。やはり富士塚だったようですね。

寂れてしまっていて・・・浅間神社ファンとしては、ちょっと悲しいですね。。。

富士塚山頂から望む熊野神社の拝殿

 

神社の左側には、「神瀧山清龍寺不動院」がありました。

本能寺の変により織田信長が自害したとき、僅かな部下と共に、大阪の堺にいた家康公は、人生最大の危機を迎え、
三重県の伊賀を超え自城の岡崎城への多難な伊賀越えが始まる。この人生最大の危機に瀕した家康公とその一行を救い、
三重の白子の浜から船で脱出させてくれたのが、服部半蔵を頭領とする伊賀忍者。恩義を感じた家康公は後に、
同じ白子の地名のある、埼玉県和光市の白子一帯を領地として与えた。この地にある名刹の清龍寺不動院を、伊賀忍者は
出城として、江戸城の警護に日々出仕していた。また不動院の法主は家康公より多大な石高を下付され、伊賀忍者の監督を
行っていた。
このような関係で、家康公の生前の命により、二代将軍の秀忠公が当寺院に家康公のご守護神を祀り、以来約390余年の間、
歴代住職により日々の灯明を欠かさずお祀りされている。
(現在の皇居の主要な門の一つである半蔵門は。伊賀忍者の頭領、服部半蔵の名残である)

護摩行、滝行、座禅も行われているようです。

http://www.nana.or.jp/~seiryuji/index.html

この境内で感じた、私的なある感覚は、熊野神社ではなく、こちらの不動院のものだったかもしれません。

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