田無神社

2016.12 田無神社へ参拝に行きました。

田無神社は、東京都西東京市田無町三丁目にある神社。

参道

田無神社境内深くから汲み上げた御神水

神社のhpによると、http://tanashijinja.or.jp/about_detail.html

「移りすんだ直後は生活用水にさえ困り、人々は谷戸まで水をくみに行く生活を余儀なくされました。このような状況は元禄九年

(1696年)に田無用水が玉川上水から分水されるまで続きました。田無神社の本殿の正面には、湧き水から水を汲む図が彫られて

います。谷戸から移り住んだ祖先の苦労へのねぎらいと、本来は水の守り神である尉殿大権現への厚い信仰をみる事が出来ます。」

となっています。田無用水は田無神社まで来ていたようで、境内には「田無用水」の立て札や「神橋」があります。

現在の御神水は、境内深くから汲み上げられているようですが、当時は湧き水があったのか?田無用水に関係しているのか?

ちょっとググっただけですけど解りませんでした。

参集殿

参集殿はそれまで宮司宅で行われていた集会や結婚式の場として昭和十年に建てられました。(国登録有形文化財)

wikiによると、

・田無神社の創建は、鎌倉時代後期の正応年間(1288年 – 1293年)と伝わり、同社は田無北部の谷戸の宮山に鎮座し、

尉殿大権現(じょうどのだいごんげん)と呼ばれ、龍神を祭神としていた。

・江戸時代初期、徳川家康が江戸幕府を開くにあたり、城や町の建造のために大量の石灰を必要とし、石灰を青梅の地に求め、

青梅街道を開いたが、その際、肥沃な谷戸の住人が南の青梅街道沿いに移住し、宿場町・田無を造営した。この動きの中で、

1622年(元和8年)、宮山に鎮座する尉殿大権現が上保谷に分祀され、1646年(正保3年)、宮山から田無(現在地)に分祀され、

1670年(寛文10年)、宮山に残っていた尉殿大権現の本宮が田無に遷された。

・1872年(明治5年)、尉殿大権現は熊野神社、八幡神社を合祀、田無神社と社名を改めた。

その際、主祭神・大国主命と須佐之男命、猿田彦命、八街比古命、八街比売命、日本武尊命、大鳥大神、応神天皇をも祀り、

現在に至っている

拝殿

拝殿中央の龍が印象的です。

金龍神は、本殿の中に合祀されています。

拝殿は、明治八年の建築で、その造営は地元大工の手により、江戸の優れた大工技術を継承した非常に貴重なもの。

拝殿の内外には、様々な彫刻が施されています。素晴らしい拝殿でした。

「津島神社」と「舞殿」

神輿庫

土俵

昭和の大横綱であった故大鵬幸喜親方が平成五年に田無神社五穀豊穣祭を記念して開いた土俵。

青龍神

もっとも「気」を感じた龍神様でした。望遠にて撮影。

黒龍神

撫龍

白龍神

 

というわけで沢山の龍神様がおられました。赤龍神様を撮り損ねました^^;

田無神社には五行思想に基づいて五龍神がお祀りされています。中心の本殿に金龍神、東方を青龍神、南方を赤龍神、

西方を白龍神、北方を黒龍神が御守護されています。

 

スピリチュアリズムから観る龍神に関しては、下記の記述がありました。

自然霊、可憐な乙女の姿をしたフェアリー、ずんぐりむっくりで愛嬌のあるブラウニーといった、進化の程度からいえば人間より

低いレベルにありながら人知れず造化にいそしんでいる精霊たち、他方、人間の遠祖として日本人の信仰の対象とされ、

西洋の霊能者の中にもその存在を指摘する者が現れはじめている’竜神’の問題ー物的身体に一度も宿ることなく進化を遂げながら、

しかも大自然の進化の原動力となっている目に見えない存在もまた、スピリチュアリズムの範疇に属する重大な課題なのである。

「人生は本当の自分を探すスピリチュアルな旅 近藤千雄著より」

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